<お知らせ>
陶芸教室は第一、第三水曜日と第二、第四火曜日に開いています。(時間は13時30分〜17時)また、体験コース、チケット制などもあります。場所や料金など詳細は左記<メッセージフォーム>か、「メッセージを送る」ボタンよりお気軽にお問い合わせ下さい。
「とにかくビールがおいしい!」話 [日記]
一昨日、かねてより注文を頂いていたビアマグをようやく送ることができ
昨日の夜、無事着いたとのメールが届きました。
メールには写真が付いていて、ご本人作の染めの布の上にビアマグが置かれ、とてもいい感じ。
ビアマグについて “きれいですね” との感想を頂き、さしずめ子供を褒められた親の気持ちってとこでしょうか。
私はどちらかというと荒めの土が好きで、ビアマグにも黒くて石もけっこう入っている土を使っていますが、外側は「月」のモチーフの模様に黄瀬戸釉、中は釉薬を霧状に掛けて
ほとんど焼き締めのように仕上げてあるため、ビールを注ぐと泡がメレンゲのように
きめ細やかになりおいしいんです。
この頃は陶器のビアマグを使う居酒屋さんなんかも多くなっていますから、“体験済み!”
という方も多いかもしれませんがとにかく
「ウマイ!」って叫んで踊り出したくなる・・っていうと大げさかなちょっと。(大げさです)
ただ私のこだわりとして、唇に当たるところはなめらかにしたいので、外には釉薬を掛けているのですが先日の個展の時、内側の上の方にも掛かっていたほうがいいのでは〜
というご意見を頂きました。
なんでも、上唇が中の釉薬の掛かっていないところに触れたときに違和感がある
ということらしいのですが、そんなご意見は初めてでした。
それについては検討中ですが、いずれにしろこういう微妙な感覚にこだわるのは
日本人らしいのかな、なんて思います。
有名な備前焼の作家いわく、“ぐい呑みの口はkissの味” だそうですからビアマグにしても
同じってことですかね。
あなたも一度、そんなことを考えながら陶器の器でビールを呑んでみてはいかがでしょう。
ひと味もふた味も違うことは間違いありません。
が、くれぐれも飲み過ぎて路上で寝たりしないよう、気を付けて下さいね。
あらためて思うこと [日記]
29日は久々の陶芸教室でした。
約この二ヶ月は個展準備の為にお休みさせて頂きましたが、外での仕事を辞めたので、これからは特にお休みをしないでも準備は進められると思います。
そんな久しぶりの教室の日に見学希望の電話が入り、タイミングよく教室風景を見て頂けました。
こんな時、“やっぱりなんかあるなぁ” って思ってしまいます。
まあ、これなんかはホントたまたまって言えばそれまでですけど、私の場合けっこう多いんですよ。様々な場面で “シンクロニシティ”って言うんでしたっけ・・あるんですよね。
誰かのことを思いだした次の瞬間にその人から電話がかかったり、手紙を出した日にその人が訪ねてきてくれたり、またあるキーワードで物事がずっと繋がっていったり・・と自分でもびっくりすることがよくあります。
そんなこと話しても、家族なんかは “ふ〜ん” ってなもんですけど不思議でかつ楽しい事は、ないよりあったほうが人生も楽しいと思うんですけどね。
焼物自体、窯から出てくるまでどんな焼けになっているか、わからないのが魅力といえば魅力ですから。
ある程度、想像はできても予想は良くも悪くも裏切られる・・だからこそドキドキワクワクするんですよ。 ただ、個展が近いとその窯出しも時に悲壮感さえ漂いますけどね。
九回裏、満塁サヨナラのピンチに立たされたピッチャーの心境です。
こればっかりは経験した人にしかわからないと思いますが、祈るような気持ち、そして泣きたい気持ちになります。
でも当然のことながら誰にも助けは求められない、そんな時まわりの景色も変わって見えます。
そう言えば知り合いの染織家の先生が
『それに対して真剣に取り組んでいればいるほどそうなるのよ』っておっしゃってましたっけ・・。
それでもそこを乗り越えられたとき “ああ、やっぱりやって良かった” って思えます。
その瞬間があるから続けられるのかもしれませんね。
とにもかくにも、焼物って傲慢な気持ちだと絶対続きません。
土に対して謙虚な気持ちを持てたとき、階段をひとつ昇れるような・・今さらながら、そんな気がする今日この頃です。
母は永遠に強し [日記]
二日間、ブログをお休みしてしまいました。
主に野暮用で出掛けていたのですが、昨日は銀座のアンティークモールというところに古布を探しに行ってきました。(最近銀座に縁があります)
工房青花は焼きものの他に布の作品の部門もありまして、こちらはと言うと私の母が作っていて、古布を使った洋服やバッグ、ちりめんのお細工物といったものを作っています。
イメージに合った布を見つけるのがなかなか大変のようで、昨日も次に作る服の布探しに付き合ったというわけです。
以前、岡山に住んでいた頃は京都まで古布を買いに行ったりしたこともありました。
私の個展には毎回母の作品も出品しています。ただ、家事の合間に作ることと細かい作業が多く、とても手間ひまかかることから、どうしても点数が限られます。そんな事もあって二人展として開いたことはありませんが、お陰様でいつも好評です。
東京に来てからは、ホームページからのアクセスで、お店のディスプレイに使う京野菜をちりめん細工で作って欲しいとの依頼を受け、百個以上作ったこともありました。
年齢を言うと皆さんびっくりなさいます。確かに娘の私から見ても気が若いといいますか、とにかく創作意欲にかけてはすごいものがあります。
昔の人って、いろんな意味で筋金入りなんでしょうかね〜、少なくとも今の、物に恵まれた時代の人とは根本的に違う気がします。
今度は服の他にちりめんで猫を作りたいと言っていますが、この猫の本体は布ではなく科学粘土で作り、ちりめんで仕上げるというもの。つまり土台は私に作れというわけです。
たしかに以前、ウサギの人形を合作で作ったことがあり、なかなかの完成度だったとは思いますが私も作るべきものがいっぱいあるので、果たしてそんな余裕があるものかどうかと思案中です。
・・なんて言ってると、『考えてる暇があったら、作りなさい!』って激を飛ばされるのがオチなのでそろそろ仕事にかかりたいと思います。
“〜ああ強きものよ、汝の名は母なり〜”
憧れの銀座 [日記]
今日は久しぶりに銀座まで出掛けました。
岡山から、知り合いが用事で来ていたので、一緒に銀ブラとしゃれ込んだつもりが、暑くて暑くて
ついダラダラ歩いてしまい・・だとしたらこれは銀ダラ?! (なんか魚みたい・・)
でも銀座でちょっとリッチなランチタイムを過ごし、松屋で陶器やガラスの作家さんの作品を見て心と体に栄養補給をしました。
もっとも体の栄養はもう十分足りてる気がしますけど、まあそれは良しとして・・。
東京に来て八年目とはいえ、中身は田舎者のままなので “銀座” というだけで特別のお出かけのような感じがします。
歩いている人もみんなおしゃれで大人・・って気がして以前はかなり気後れしていたのですが、この頃は別に開き直りというわけではありませんが、 “田舎者バンザイ!” みたいな気分もあって大分慣れてきました。
いつか銀座に住みたい・・と母も姉も言います。
日常のお散歩がそれこそ銀ブラってことですもの、確かに楽しいでしょうね。
でも私としてはやっぱり田舎に工房を持ちたい気もあるし、理想は両方を行ったり来たりの生活
ですね。
ただ陶芸は設備がけっこう大変なので、よく思うことなのですが、物書きの人はその点どこででも書けるからいいなあって・・。
私に文才さえあれば・・なんて、ないものねだりとはこのことですが。
何はともあれ、そろそろ本格的に始動しなければ!
ああ過ぎゆく夏よ〜! (突然の発作?!)
夏の終わり、いつも昔からちょっと淋しくなってしまうのは、夏休みが終わってしまうということの淋しさのなごりなのか何なのか・・。
しかも嬉しくて涙が出るくらい課題が山積みの秋を、もうすぐ迎えようとしている私です。
猫のいる工房から [猫]
この辺で自分史は一旦お休みして、日記に戻してみたいと思います。
今、家には二匹の猫がいて名前はナナとハチ、家に来てから三年目です。
すべての飼い主は自分の家の子が世界一かわいいと思っているでしょう。ご多分に漏れずってやつで、私も例外ではありません。何がかわいいって、うちの子はちゃんとおすわりをするんです。
『はっちゃん、おすわりは?』または『ナナちゃんおすわりしてごらん』
と言うと、一瞬考えてからおもむろにって感じで座るんですが、その様子はホント、この秋全国一斉ロードショー公開したいくらいです。
ただ、お手は無理のようです。 昔テレビでお手をする猫を見た記憶がありますが、うちの子はダメです。
いくら教えようとしてもフニャフニャした手つきでどうしようもありません。
それからいつかの日記の中にも書きましたが、招き猫の陶額のモデルにしようと、デッサンをしたり、無理矢理 “招きのポーズ” を取らせ写真を撮ったりもしたのですが、実際にはリアル過ぎて招き猫のイメージにはほど遠いというのがわかり、やめました。
ところが、ナナとハチを知る人が言うにはやっぱり顔が似ているというのです。
そんなものなんでしょうかねえ、人形なんかは作る人やその人の子どもなんかに似るって言いますけど・・。
そう言えば私の描く猫は黒目がちなんですが、ナナとハチもそうかなあ・・なんてやっぱり親バカでしょうか。
とそんな事を言っているとハチがやって来ました。
“出るかスリスリ攻撃〜!” やっぱり出ました。
おなかが空きました〜の合図です。エサをやるまでやめないのでやってくることにします。
では今日はこのあたりで・・また明日〜。
こころの旅<ニセコでの日々> [自分史]
ニセコでの一ヶ月はあっという間に過ぎて行きました。
その間、私が経験したことに、多くのカルチャーショックを受けたことは言うまでもありません。
牛の糞掻き(糞をベルトコンベアーに掻いて落とす)に始まり、牛のエサになるトウモロコシの収穫や、地上何十メートルものサイロに梯子で登って干し草を運び入れることなど、私が望んでいた通りの、しかし私にはちょっとハードな肉体労働でした。
ちなみにそんな日々の仕事の中で私が好きだったのは、生まれて間もない子牛にミルクを飲ませること。
バケツに吸い口を付けたもので飲ませるのですが、それはもう夢中で飲むなんてもんじゃなくて、むしろ死にもの狂いって感じでしたが、それがなんともいじらしいというか、かわいく、愛しく思えてなりませんでした。
牛のお産にも立ち合ったし、お隣の農家の芋拾いのお手伝いに行ったり、山登りをしてバーベキューをしたり・・。
なぜか秋祭りのカラオケ大会に出場するという大胆不敵な事までやってしまいました。
そうしてニセコの自然や、動物に触れ、またそこの人たちの優しさに包まれ、少しうつむいて道に迷っていた“女の子”は、いつの間にか顔を上げ、前を向いていました。
それもこれも温かく私を受け入れてくれた、牧場をはじめとするそこの人たちのおかげです。
中でも私を陶芸の道に引き戻してくれたのは、そのT牧場のおばさんの言葉でした。
『○○ちゃんには焼きものがあるんでしょう〜、○○ちゃんはやっぱり焼きものをやらなきゃだめだよ。』
そのなんの飾りもない言葉に、私は素直に頷いていました。
何を迷っていたのかと思いました。そしてあの土の感触をとても懐かしく恋しく思っている自分に気がついたのです。
“そうだ、私には焼きものしかないんだった・・。”
あれほど “もう少しここにいたい”・・と思っていたはずの私が、帰りは一等船室だったたったひとりの部屋のベッドで、
『早く帰りたい、船よもっと早く走れ!』 と日記に書いていました。
北海道へ〜<海を渡る> [自分史]
*今日は、焼きものとは直接関係ないのですが、北海道編として私の体験記を書いてみたいと思います。*
敦賀から出航する新日本海フェリーは、夜出て翌々日の早朝、小樽に着くというもの。
私の部屋は三等船室、つまりは船の底のほうでしたが、九月の海は比較的穏やかで、
思ったほどの揺れはなかったように思います。
ただ、言ってみればリビングの床にごろ寝するようなもので、まさしくざこ寝といった
感じ。
もちろん知らない人ばかりの中で、です。
これにはいささか抵抗がありました。すぐ近くに知らないオジサンが寝ているのですから、うら若き娘としては当然と言えるでしょう。
でもこのオジサンなかなかいい人で、三等では各自毛布を借りてくるんですが、私のぶんもちゃんと借りてきてくれたんです。
しかし結局、よく眠れないまま翌日を迎えた私は、特にすることもなくこれからのことをぼんやり考えながら、どこまでも続く海を眺めていました。
「お一人ですか?」
声を掛けてきたのは同じ年頃の青年でした。
聞けば大学の友達三人と、愛知から来たのだとか。
夏休みの最後を利用して北海道を一周するとのことで、私とはまったく違う世界の人達でしたが、明るくて屈託のない四人とはすぐにうち解けることができました。
あとで聞いた話ですが、この時私を見て、何かに悩んで自殺でも考えてるんじゃないかと思って声を掛けたそうです。実のところは眠かっただけなんですけど。
まあでも、そのおかげで彼らと友達になれて卓球をしたり、トランプをしたり、まるで仲のいいクラスメートとの修学旅行のようでした。
「三等にいるんなら今夜は僕たちの部屋に来ない?ベッドをひとつ開けるから。」
確かに彼らの部屋は一等船室でした。
だからと言ってこんな申し出を受ける事など、今の時代なら考えられないことですが、当時の私は何の疑いも持たず、むしろ申し訳ないとさえ思いました。
実際ベッドは四つしかなく、四人の中の二人が狭い思いをして寝てくれたおかげで、その日の夜はちゃんとしたベッドでぐっすり眠ることができたのです。
それにしても我ながら怖いもの知らずというか、三等でのざこ寝には抵抗があったくせに、なんたる矛盾!
それにひとつ気がかりだったのは、毛布を借りてきてくれたあの親切なオジサンです。
三等船室から消えてしまった娘の行方をどう思ったでしょうか。
まさか海に飛び込んだとは思わなかったかも知れませんが、もしかしたらモヤモヤしたまま一夜を過ごしたのかも知れないと思うと、今でも申し訳ない気持ちで一杯です。
オジサンごめんなさい。
私もあの頃からすれば少しは思慮深いオバサンになったと思います。
そしてあの時の体験を今振り返ってみて、やっぱり出会う人に恵まれていたんだとひたすら神様に感謝するばかりの私なのでした。
焼きもの屋への道2〜北海道へ〜 [自分史]
それからしばらくの間、私は自分の道を見失っていました。
果たして自分がほんとうに焼きものをやりたいのかどうか、もう一度自分を見つめ直してみる必要がある・・とも思いました。
只、一つ間違えると引きこもりになってしまいそうで、ますます不安が不安を呼ぶ・・といった悪循環に陥りかけていました。
これはもう身体を動かし額に汗する・・そんな中からしか答えは出てこない!・・と思った私が出した結論は、“肉体労働”でした。
しかも、自然に恵まれた良い環境で・・ということが前提でしたから、そうなると私の頭に浮かんでくるのは北海道の牧場しかありませんでした。(なんて単純!)
でもどうすれば牧場でアルバイトできるんだろう・・と思っていたところに再び姉が登場!
『北海道の地図を買ってきなさい。地図の後ろのほうに載ってる観光協会の住所あてに、片っ端から手紙を書きなさい、アルバイト先を紹介してくださいっ〜て。』
“ええ〜っ、ほんとにそんなコトするの〜?”・・って思いましたよ。正直、牧場に行くこと自体まだ迷いというか、ためらいもあったのに・・。
でも、そうやって姉が私の背中を押してくれたおかげで、今の私があると云っても過言ではありませんけど・・。
そんなわけで、何通もの手紙を書きましたが、お返事を頂いたのはニセコ観光協会のみでした。
もちろん、もう行くしかありません。
旅立ちは九月でした。
焼きもの屋への道 [自分史]
専門学校はどうにか卒業したものの、就職となるとこれがまた大変なことでした。
どこの窯元でも女性だというだけで敬遠されますから、よほどのコネでもない限り就職は難しく
私の就職活動も実を結びませんでした。
しかし知り合いの紹介で、幸運にもある作家のもとに弟子として通うことが許されたのです。
普通ならとうてい入れるような処ではありませんでしたが、その頃の私にはそのことが本当にはわかっていませんでした。
そこでは掘り出した土のかたまりを砕いて、一から土作りをしていました。
毎日の主な仕事は、土のかたまりを1、2㎝ぐらいにスライスしてはその中から余分な石を取り除く“石選り”という作業や先生の使う土を練ること、又、前述の土作りのための土の選別に始まり、それを砕き、瓶(かめ)に入れ、次に瓶から出して鉢に入れ、水分が適度になったところで繰り返し足で踏んでいく・・という、気の遠くなるような作業の連続で、真冬に1トン近い土を踏んで足の感覚がなくなったこともありました。
それまで専門学校では、すでに使うばかりになった土を練るだけで、あとはすぐにろくろで成形、削り・・といった具合でしたから、実際もともと土が、どうやってできるのかさえ知らなかった私にとって、それはとても貴重な経験でした。
只、もともと備前焼というより釉薬を使った焼きものに惹かれていたことや、そのまま弟子を続けていくことへの不安が募ったこともあり、結局はそこを離れることとなったのです。
まったくもって不甲斐ない弟子だったと云うより他ありません。
が、そこでの経験が今の私の土台となっている事は間違いありませんし、物作りにとって大切な事の数々を学ばせて頂いた特別な場所でした。
焼きものとの出会い・2 [自分史]
焼きものにひらめきを感じたとはいえ、その頃の私にしてみれば陶芸家になる〜
などということはだいそれた事でしかなく、とにかくやってみたいという程度だったかも
しれません。
それに私がひらめきを感じたのは、実は備前焼の作品ではなかったのですが、基本は同じはず・・と思い地元にあった専門学校、備前陶芸センターに入学しました。
人数は12、3人ほどで年齢もまちまち・・みんな楽しくていい人達でした。
今から思えば、ずっと部活動の合宿かなんかでもやってるみたいな感じでしたが、それでも私にとって休まず通うというのは困難でした。
もちろん、初めてさわる土の感触や、その土がろくろを回すと手の中で、みるみる形を変えて行くさまは本当に新鮮かつ楽しい事でしたし、土練りの大変さを差し引いたとしても、私の性に合っていると思ったものです。
只、いかんせんどちらかと云えば身体も弱く、精神的にも不安定な時期だったと思います。
誰でも思春期の頃にはよくあることですが、私の場合やけに長かったようで・・というよりそれも甘えのひとつだったのかも知れませんが・・。
今回、岡山の個展で20年以上会うことのなかった同期生(2歳年上です)が見に来てくれ、しみじみ言っていました。
『○○○がこんなに頑張るとは思わなかったよ〜』・・・って。
いいえ、頑張ったというよりこうして続けてこられたのも、周りの人にいつも恵まれていたことと、焼きものの持つ、“ある力” が私の生命力を引き出してくれたからに他ならないのです。
が、しかし実際大変だったのは卒業してからのことでした。
行きがかり上さらに つづく







